人が感動する時ってどういうときだろう?
はじめに
最近人工知能という言葉をここぞとばかりに連発しているメディアばかりなので、
今回は人工知能に内蔵する必要がない(少なくとも初期のものではとここでは言っておく)、かつ人間が求めていると考えられる"感動する"ということについて考えていきたいなと思います。
なお、完全に独断と偏見に基づいたものですのでご了承ください。
そもそも感動って?
人によって感動するポイントはそれぞれですよね。
同じ映画を見ても感動する人しない人がいる。人間ってつくづく不思議ですね。
一応ここで感動の定義を見てみます。
感情,情動,気力などを含む総括的用語。精神機能を知,情,意に分類する場合の情にあたる。狭義には,喜びとか興奮とかを意味することもあり,また特定の対象に対する感情反応をさすこともある。
(コトバンク)
んーなんだかわかったようなわからないような。
まあここでは単純にここでいう感動は「感情が動くこと」くらいにしておきます。
(そのまんますぎますが...笑)
もしかしたらみなさんの中には涙を流すような場面を感動した時だと考える方もいるかもしれませんが、この定義に則って考えると、より広義な意味での感動になってきます。
つまり、今の感情の状態が変化している時点で感動をしているということになります。
ゴミ箱にゴミを投げて入った時、友達と少し口喧嘩をしてしまった時、欲しいと思っていたものが手に入った時などなど、考えてみると思ったより人って感動しているんだなって思います。
感動する時ってどんな時?
さて、ここで本題です。
人間はどのような時に感動する、つまり感情を動かされるのでしょうか?
先ほども述べた通り、感動するポイントは人によって違い、またその大小も異なってきます。そのような違いはどこから生まれてくるのでしょうか?
先に結論から述べると、その人のこれまでの経験からくる思い込みや想像を超えたときに感情は動かされるのではないかと思います。
例えば、映画で考えてみましょう。
たまに最初の頃から伏線がありすぎて結末がわかってしまうものなどがありますよね。どうしてわかってしまうかというと、それまでにそれと似たような映画やドラマを見たことがあり、「結局はこうなるだろう」と推測をしてしまうからです。
これはなんとなく分かると思います。ようは飽きてくるんですよね。同じものばかりだと。(飽きるという人間の機能は非常に大事だと思うので今度記事書くかも?)
逆に全く未知なもので次にどうなるかわからない時ってドキドキしますよね。あの時感情動いてますよ、はい。
人間は未知なものであればあるほど次の予測ができなくなり、結果的にそこに感動が働くのではないかと考えます。
感動したければ経験したことのないことをしてみることが大事だということですね。
また、これはビジネス目線で新たなサービスやプロダクトを作る際にも、いかに感動を生み出すものを作り出すことができるかというポイントが大きいと思います。
新たな体験を生み出すことのできないサービスは、顧客側がすでに使ったことがあるような気持ちになってしまうので、うまくいかないと思います。
日々ドキドキしながら、生活をしていきたいものですね。どんどん新たな経験をしていきたいと思います。