うっとおしいハエから人間の素晴らしき発明を考えてみた
動物に意志はあるのだろうか?
今日は図書館で二匹のハエを見た。二匹ともあいていない窓から外に出ようと必死であった。まるで太陽にたどり着くと思ってのはらを全力疾走で走る少年のように。
とにかくうっとおしい。羽音や窓にぶつかっては離れるその動作が私の聴覚、視覚、そして触覚さえもコントロールしようと存在感を示してくる。
いろんな意味でうるさいので場所を移そうと荷物を整理しようとした時ふと思った。
動物に意志はあるのだろうか、と。
意志というか願望に近いのかもしれない。生物が本能的に求めるものだ。
生きづらい場所ではなく、自由に羽ばたくことができる世界に飛び出したいという本能的欲求がハエから見て取れた。何度もなんども開かない窓に向かって自分の身を投げ出しているハエ。
そこにはもしかしたら何も思考はないのかもしれない。でもそこから出なければいけないという本能的な何かが彼らをその衝動に駆り立てている。
しかしここで新たな疑問が浮かんできた。
どうしてハエは窓を超えたその先に自由な世界があることを知っているのだろうか?
その窓はモザイクみたいになっており、外はほぼ全く見えない。
過去にその自由な世界にいたこと、空間認識能力により、その先に外があることを察知しているのかもしれないあるいは、ただ何も考えず前にあるものに突進しているだけかもしれない。
こんなことはハエになってみないとわからない(そして現状私にはハエになる手段を持っていないし思いつきもしない)。
しかし、人間から見たらその行為は頭が悪いとしか言いようがない。
他に外へ行く道などいくらでもあるからだ。現に人間はちゃんとドアのついた入り口から出入りをしている。
だとしたら、ハエは学習能力がないということになる。
もし学習能力があるとしたら、一度失敗した経験を次に生かし、他の方法を考えるだろう。
このことからも、人間が進歩することができた大きな理由が、言語を使って思考・学習をすることができる能力を持っていたことということが言えるだろう。
人間は言語という道具を発明をし、それを使って新たなアイデアを生み出し、実行に移して行った。
協業、分業というコミュニティの形、新たな道具の発明も、すべては言語能力があってこそのものだ。
そう考えると人類がここまで発展していった最大の大きな発明は言語であろうと言えるのではないか。