しくみずむ

様々な分野の身近な小さなことから、大規模なことまで、仕組み、原理についてつづっていきます。みなさんの知的好奇心をくすぐっていきます。

主張のない根無し草

 「自分が何を伝えたいのかが明確でない状態で何かを発信することは、出口のない迷路のようなものである」

 

 自分の伝えたいことを明確にして物事を発信している人がどれだけいるのだろうか。最近の記事を見てつくづくそう思っている。自分が拾い上げてきた事実を延々と述べ(本当に事実なのかどうかは定かではない)、最終的に何を伝えたいのかをうやむやにする。しかし、キャッチーなコピーをつけて読者に甘い蜜を吸わせようと必死になっているため、記事内容とは異なるタイトルをつけ、ミスリーディングを誘う。読者は読者でそれを鵜呑みにし、世の中への感度が損なわれていく。

 

 主張とは、個別事象に対して自分独自の切り口からの意見を述べることである。誰かのモノマネではない。何も考えずに情報だけ取り入れる人や誰かの意見のみをインプットしているだけの人は、自分の意見を持つことなどできない。自分で考えることなしに自分の意見を持つことなどできないからである。そうした人は、知らず知らずのうちに誰かの考えが自分の頭の中に断片的に染み着き、その積み重ねによって自分の頭が出来上がっている。もうそうなると、自分の頭で考えているのか、誰かの頭で考えているのかわからなくなってくる。

 誰もが簡単に情報にアクセスできるようになっている今、そうした他の人の頭だけで考える「移植人間」が増えてきているように思う。考えない方が楽だし、それっぽいことをつらつらと述べることができるから自分で考えようとはしない。

 

 そうした人間が増えていくとどうなるか。自己主張のないロボット人間の完成だ。しかも何がたちが悪いかって、誰かに植え付けられた考えを、あたかも自分で考えたかのように錯覚し、堂々とその主張を述べるのだ。そうした人にまた感化される人も見逃せない。

 

 断片的につなぎ合わせてできた人間は軸がなく、ポロポロと剥がれ落ちやすい。何が良いことなのかという判断軸は自分ではなく、権威を持つものに委ねられている。そうした人間は危険でもある。洗脳されやすいのだ。ネットワークビジネスに翻弄されてしまうような人はまさにその類である。

 

 では、どうすればそのような状態から脱却することができるのか。結局自分の頭で考える他ないだろう。特効薬のようなものがあれば良いが、長期的に役に立つものほど簡単には手に入れられないから仕方がない。そして少々この「自分の頭で考える」というものは厄介なのだ。なぜなら、これは明らかに人間の本性とは真逆を行っているからである。人間は考えない方が楽なのだ。その方がエネルギーを使わなくて済む。

 

 自分の主張を作り出すためには、日々自分のなりの視点で考え続けることが重要である。自分なりの視点というのは、おそらく過去の経験から裏打ちされた自分だけが持つ感性や直感といった部分が大いに関係してくるだろう。同じ状況であっても人それぞれ考えること感じることは違うであろう。

 何か感じるたびに、どうして自分はこのようなことを感じるのだろう、と自問してみると良い。自分が気づかなかった自分というものに出会えるからだ。こうして自分なりの視点が見えてくる。それは大事にすべき個性、とも言えるものである。

 

 だから周りの雑音に振り回されずにいるためには、常に自分で考えることが重要である。そのあとにその題材に関しての他の人の意見を聞いたり見たりしてみると良い。そこで鵜呑みにしていた時の自分では見つけることができなかった新たな発見があるはずだ。