しくみずむ

様々な分野の身近な小さなことから、大規模なことまで、仕組み、原理についてつづっていきます。みなさんの知的好奇心をくすぐっていきます。

私がFacebookからTwitterへ変えた理由をジョブ理論の視点で考えてみる

はじめに

 私はつい最近、『イノベーションのジレンマ』の著書クレイトン・クリステンセンの『ジョブ理論』という本を読んだ。目から鱗とはこのことと言わんばかりに新鮮な視点を提供してくれたため、あっという間に読んでしまった。

 具体的な解説は本や他の記事に任せるとして(下に少しだけ解説入れた)、本書を通して私は物事をどのように捉えるか、という根本の思考の枠組みを振り返らざるを得なくなった。今回はそのジョブ理論のレンズを通して、自分自身の利用サービスの移り変わりを辿ってみたい。その対象はSNSFacebookTwitterだ。私は最近Facebookをほとんど使わなくなり、Twitterをメインで使い始めた(1ヶ月前ほどはこの逆だった)。

 

ジョブ理論とは

 最初にジョブ理論とは何かについて簡単に解説しておきたい。

 本理論は、顧客の抱える片付けるべきジョブを明確にし、そのジョブを進歩させるプロダクトやサービスを提供することの重要性を説いている。ジョブの定義を「ある特定の状況に人が遂げたい進歩」としている。

 

 そして本理論のポイントは、"なぜ人はその状況下においてある特定のプロダクトを利用(雇用)するのか"という因果関係を理解することに注目していることだ。従来のように人口統計的に顧客セグメントを分ける手法は、確かにある程度の傾向、いわば相関関係を掴むことはできるかもしれない。

 しかし、相関関係がわかったところで、さらにサービスを提供する上でどのような取り組みを今後行っていけば良いのかという軸がわかるわけではない。「オムツの近くにビールを置くと売り上げが上がる」という相関がわかっても、それがなぜなのか、次にどのような施策を打てば良いのかはわからない。

 

 一方、因果関係(なぜ人はそれを使うのか)がわかれば、その目的に沿った形でさらなる良いサービスを提供することができる。そしてこの視点を持つことで「競合」の枠組みが変わって来る。本書の中で出てきたマーガリンの例を紹介しよう。

 

 人はなぜマーガリンを買うのだろうか。マーガリンにはどのような特性があるだろうか。今でこそマーガリンは不健康の代名詞として位置付けられているが、昔はそんなことはなかった。バターより安いし低脂肪だったため、人々に受け入れられていた。そのため、マーガリンを取り扱う各社は脂肪の含有率などの違いによる差別化をメインにしていた。しかし、当時含有率を差別化の要素とすることが本当に差別化になっているのかはわかっていなかった。なぜなら含有率を元に「どうしてある特定のマーガリンを選ぶのか」を考えても答えが出てこなかったからだ。

 そこで視点を変えてマーガリンが解決しているジョブに着目したところ、それが明確になった。それは"飲み込みやすいようにパンの耳や皮を湿らせる何かが欲しい"だった。この観点から考えると、競合に対しての考え方が変わって来る。クリームチーズやオリーブオイルも競争相手になって来るのだ(確かにオリーブオイルをかけた食パンにさらにマーガリンを塗る人はそうはいないだろう)。

 

 

 このように、消費者がなぜそのプロダクトやサービスを利用するのか、片付けるべきジョブは何か、という視点に立つことにより、今までと全く違った景色が見えて来ることがわかるだろう。

 

FacebookTwitterの違い

 ここでようやく本題に移ろう。

 

 私は本書を読んだ後、自分が使っているサービスは私のどんなジョブを解決しているのだろうということを考えた。その中で特に面白いなと思ったSNSの移り変わりについて書いていきたい。

 背景として、私は約1~2ヶ月くらい前から、ほとんどFacebookを使わずTwitterを使うようになった。逆にそれまではほとんどFacebookを使っておりTwitterを使っていなかった。どうしてこのような変化が生まれたのだろうか。

 

 SNSサービスの特性は色々あるが、今回着目したいのは「個人が発信しているものがコンテンツとなる」というものだ。自分の近況や思っていること、気になった情報が主なコンテンツとなっている。

 さて、そのような特性を考慮した上で、FacebookTwitterの違いは何かを考えたい。

 

 

 まずはFacebookについて。

 Facebookはサービスの特性上、基本的には一人1アカウントであり、友達リストになを連ねるのは自分が直接知っている人たちだ。そのような場で人はどのような情報を提供するのだろうか。

 最近の友達のいくつかの投稿をみるにつけ、私はFacebookの利用方法の特徴に気がついた。それは"Facebookは決意表明や宣伝の場"であるということ。ほとんどの人が自分はこんなことをしました、これからこういうことをしていきますなどといった投稿をしている(FacebookのUIが長文を許容するような設計になっているからかもしれない)。そして周りがそのような投稿をしているのだから、自分も何か特別なことを投稿しなければならないという気持ちが無意識的に出てしまい、自分もそのような投稿をしてみたり、逆に投稿を躊躇する人も多いのではないだろうか。最近はさらにエスカレートしているように思える。

 

 一方のTwitterはどうだろうか。

 TwitterFacebookと違い匿名登録が可能で、複数アカウントを持つことも切り替えを行うことも容易だ。そのため、用途に応じて複数アカウントを切り替えるといったことが可能となる。これにより、友達の近況を知るアカウントと、情報収集のためのアカウントを使い分けることが可能となる。

 そのほかの特徴として、言わずもがなだが140字という制限だ。これは機能面だけでなく、精神面での投稿ハードルを下げることにもつながる。140字以下であれば独り言程度のものでも気軽に投稿できる。実際投稿内容は気軽に思ったことや考えたこと、新たな気づきなど手軽なものが多い。

 

FacebookからTwitterへ移った理由

 さて、ここで両者が解決している私のジョブを見ていこう。私は二つのサービスを通してどのようなジョブを解決してもらっていたのだろうか。

 色々考えた結果たどり着いた結論は「様々な分野の最新知識や知見を専門家からの視点で知りたい」であった。つまり知的好奇心を満たすもの、それも単にニュースでわかるものではなくそこにある程度経験に裏打ちされた信用が付加された形で提供されるものを求めていたのである。

 つまり友達の近況を知ることではなく、知的好奇心を満たすために私はSNSを使っていたということになる。だからだんだんとFacebookがつまらなくなってきていた。

 ただ、最近ではFacebookの投稿には友達の近況ではなくニュース記事に対してのコメントが増えてきている。これでもいいのでは...?いや、ダメなのだ。私は質と同時に量も求めている。そのため、ニュースを見るという用途で考えれば文字数制限もありUIが見やすいtwitterの方が適しているのだ。

  

<ちょっと脱線>Newspicksでいいのでは?という方へ

 上記の「様々な分野の最新知識や知見を専門家からの視点で知りたい」というジョブを解決する上で、Newspicksがあるじゃないかという意見が出てくるだろう。私もそれはなぜだか考えて見た(私はNewspicksも使っているが、Twitterの方が最近かなりの割合で使っている)。

 Newspicks上では、様々なニュースに対して専門家や一般の人の立場からコメントをすることができる。これだけ見るとジョブが解決できそうな気もするが、私が求めているのはこれだけではないらしい。ポイントは「様々なニュースに対して」の部分。つまり、Newspicksでは日々のニュースへのコメントしか行われないのだ。

 一方Twitterは、もちろん自分がフォローしている人のニュースへのコメントを見ることもできるし(結構専門家はツイートしている)、何より重要なのは日々の生活の中での気づきをツイートしてくれることである。これが一番の違いであり、私が求めている情報だったのだ。これはNewspicksでは提供してくれない情報だ。

 

最後に

  ジョブ理論で考えることにより、自分や周りの人がなぜある特定のプロダクトを使っているのかがみえてくると同時に、自分があるプロダクトを作る際にも自分がどのようなジョブを解決しようとしているのかを意識する必要性を実感する。ちょっとした違いがそのプロダクトを使うか使わないかを左右するのだ。

 

 ただ誤解しないでいただきたいのだが、私が今後Facebookを使わないといっているのではない。用途が違うのだ。情報収集の場として今の私の状況に適しているのがTwitterなだけで、この状況はもしかしたら今後変わってくる可能性もあるし、周りの人たちに自分の近況を伝えたいとなった場合はFacebookを使うだろう。

 従来のような「20代男性は〇〇をよく使う傾向がある」という形での顧客の理解では、今回のような洞察は生まれなかっただろう。なぜ、何を解決するために顧客はそのサービスを利用しているのか、という因果関係に答えなければ、本当の意味でそのサービスを理解することに繋がらないということを実感した。

 皆さんも、普段使っているサービスをなぜ使っているのかを考えて見ると、思いもよらない発見をすることができるかもしれない。